その昔、テレビが一般家庭に普及する前は、ラジオが唯一の情報源だった。 1950年代、ラジオから流れてくるものは、歌謡曲と民謡、そして浪曲や落語もやっていた。当時ラジオの人気番組は、都蝶々と南都雄二の「夫婦善哉」や花菱アチャコ、浪速千栄子の「お父さんはお人好し」そしてNHK「のど自慢大会」などがあった。
1960年代のはじめ、私が中学生だった頃にラジオからアメリカン・ポップスが流れていた。軽快なメロディーで、ひたすら明るく元気づけてくれるものだった。それは青春讃歌だった。それからというもの、洋楽の番組に夢中になり、アメリカン・ポップスにのめり込んで行った。
レコードがなかなか買えない時代に、せめて曲名と歌手の名前ぐらいは覚えておきたいと思いノートに書き取ったりした。 しばらくして、ヒットチャートを付けるようになり、毎週入れ替わる順位に一喜一憂しながら書いたものだった。 当時は、ラジオでアメリカン・ポップスを流す番組がかなりあった。「L盤アワー」(コロンビア)、「S盤アワー」(ビクター)、「P盤アワー」(ポリドール)、「魅惑のリズム」そして「ユア・ヒット・パレード」など。 中でも毎週欠かさず聴いていたのが「森永キャンディー・ベスト・ヒット・パレード」だった。DJの高崎一郎さんの軽妙な語り口に耳を傾けて聴いていた。 歌手の出身地やデビューのきっかけなどエピソードを紹介していたのを興味津々に聴き入った。 この頃、「恋の売り込み」(エディー・ホッジス)、「ミスター・ベースマン」(ジョニー・シンバル)、「シェリー」(フォー・シーズンズ)などがトップテンに入っていた。
ところが、私が聴き初めてから1年も経ない内にこの番組を流していたラジオ京都での放送が終了したのだった。毎週楽しみにしていたのに残念だった。これに替わって「9500万人のポピュラー・リクエスト」が始まった。 DJは小島正雄さんでした。この頃から、ビートルズがヒット・パレードを賑わすようになった。
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